買い物の変化 楽天とwhytelistのちがうとこ
お買い物が変化してくるんだろうなと思いました。
というのは碇和生さんの立ち上げたwhytelistというショッピングサイトをみてから思ったもので、楽天とかyahooショッピングとかの既存のものとは違うその特徴が面白かったからです。
その特徴というのが、今までのように価格だけで商品を判断するのではなく、その人自身やモノを売るまでに至った経緯など、一連の想いをストーリーとして捉え、そこに価値を感じられるサービス(http://interview.co-ba.jp/?p=61より)というものです。
なるほど、whytelistのサイトを開いて商品のページを見てみると、その詳細には
■どうして売ろうと思ったんですか?
■どんな人に使って欲しいですか?
などの質問項目があって、出品者がそれにこたえています。
もうひとつ特徴かなと感じるのが、出品者がほとんど個人(実感値)だというところです。企業が出品というのはほとんど見られません(ほとんど、というのは、個人のふりをした企業がもぐりこんでいるのかな・・・・と見受けられる出品者が見受けられるので・・・)
で、これらの特徴をそなえたwhytelistですが、じゃあこれまでのショッピングサイトとは何が違うのだろうかというと、共感が消費につながるというところかなと思っています。楽天や何やらのサイトでは、その機能性、デザイン性を押し出した出品内容がほとんどで、それがこれまでの消費だったのだろうと思います。
whytelistでは、先にも書いている通り商品のもつストーリーが重要視されている感じです。まあそもそも商品自体の魅力もなければ購入まではいかないとは思いますが、ストーリーが付与されることで付加価値になっているんでないかなと。
そのへんが違うんじゃないでしょうか。
以下に碇さんへのインタビューで面白い記事があったので転載します。
■【モノの背景やストーリーを大事に】というコンセプトは碇さんの価値観によるものですか?
そうですね。これは個人的な考えなんですが、モノの価値ってその向こう側にいる物や人に対してどれだけイメージを想像できるかで大きく変わると思っているんですよね。
たとえば家庭教師のバイトをしている学生がいるとして、普段は時給数千円もらってたとしても兄弟とかには無料で教えるじゃないですか。逆に芸能人のオークションなんかだとどうでもいい物に見えても数十万も値段がついたりしますよね。それってお金の話だけじゃなくて、恋人から貰ったプレゼントなら絶対に無くさないよう大事に使おうと思ったり
逆に別れたらどれだけ気に入ってた物でも捨てちゃったり。笑
要はそのモノ自体に絶対的な価値があるんじゃなくて、その向こう側にいる人のことを想像できているかどうかだと思うんです。その想像させるための仕組みがストーリーであり、そこを大事にすることで一度は価値がなくなったように見えたモノでも世界のどこかにいる、必要としている誰かにとっての大切なモノになり得ると思っています。
(http://interview.co-ba.jp/?p=61より)
なるほど、ものの持つストーリー。
ちょっと違うかもしれませんが、最近流行のクラウドファウンディングもこういった共感を生みだしてお金を集めるものの一例かなと思いました。
楽天とかにはなかなかできないところかなと感じます。
ちょっと前に碇さんとお会いいただく機会があったのですが、なんだかご自身のコアがしっかりされている方だなと感じました。これからwhytelistがどうなってゆくのか、気になるところです。
キングギドラの数え方
キングギドラってどうやって数えるんだろうか。あれ。
頭(とう)っていう単位なら3頭じゃないだろうか。
あたま三つあるしね。
しかし体(たい)だったら1体じゃないだろうか。
からだひとつしかないしね。
しかしこんな話を聞いた、
キングギドラの三頭の中で、真ん中のやつが物事を決めている(イニシアチブとっている)と。
ということなら自我の一番強いのはまんなか。
両脇のふたつは真ん中に比べるとよわい。意志的な。
じゃあ飾りに近いのだろうか。なら一頭って言ってしまっていい気がする。
しかし比較して弱いからと言って飾りと言ってしまっていいのだろうか。日本の政治家大臣たちならまだしも、相手は宇宙大怪獣である。意識があるのにお飾りとなんかいってしまうのは失礼だ。政治家ならまだしも。
相対評価じゃなくて絶対評価なら3頭だ。
いや、面倒だから1体って数えよう。
ひきこもりの持っている力について
昨日バカサミットにて家入一真さんとヨシナガさん両氏の対談を聞いてきました。
その中で印象に残ったことば
「ひきこもりの持つ力」
家入さんのもとひきこもりは有名な話だったが、ヨシナガさんもひきこもりレベルは相当高いそうだ(ご本人談)
というわけでひきこもりのプロによる対談がはじまり。
ひきこもりとはなかなかプラスでとられることはない、というか全く、とられることってないよねという話から始まり、え、でもひきこもりって特殊能力じゃね??という話に。
ひきこもりの特殊能力!?
両氏によれば、ひきこもりってひとりでいる時間が長いから自分自身と対話している時間がきっと長い、長く対話できる能力がある。な。確かになるほど。
足早いだけの明るいやつよりひきこもりのほうがよっぽど頭使ってるわい!みたいな笑
そして、じゃあなんでひきこもりがマイナス評価なのか、
それは少数派ということ、世の中の仕組みに組み込みにくいスキルだったからということではないか。確かに。なるほど。
足早いだけの明るいやつよりひきこもりのほうがよっぽど頭使ってるわい!みたいな笑
下向いてデリート
で、家入さんの個人的な特殊能力の話。
それが下向いてデリート。
メールが溜まってきたら開けなくなるらしい。
そんな時には下向いてデリート。メールが誰からきてるとか全くみないままデリートしてしまうらしい。
しかもこれまで下向いてデリートによって大きな不利益があったことがないそう。すごい。
で、これってすごいスキルだなーと思った。
デリートしても不安にならない。なんとかうまくいかせてしまう。すごい。スルースキルってやつか?すごい。気にしない力?すごい。すごいしかいってないけどすごい。
お二人の対談通して一番おもしろかったのは
「足が速いってのもスキルじゃん?ひきこもりってのもスキルじゃん?
じゃあ同じ土俵だよね。へえ、きみ足早いんだ。こちとらメール開けないけどなにか?」
笑
フリーランスみたいな生き方増える
今日ソーシャルメディアについて深い方にお会いして、お話を頂いた。
ソーシャルについてはいつか書くとして、
面白かったのはその方の働き方とやりたいことである。
会社に勤めた後に現在やめて、起業する準備をされているのだ。
で、もちろん起業が目標とかそんなことではなく、
「自分のやりたいことでやりたいように稼げる人を増やしてゆきたい」
ということだった。
最近、自由な働き方を選ぶ人が非常に増えてきているのではないだろうか。
出版物でいっても、本田直之さんの本がうれたり、ティム・フェリスの「週4時間だけ働く」が売れたりとか、「25歳からのひとりコングロマリットとしての働き方」って本が出たりとか。
人ベースに考えても、安藤美冬さんという方が現れたり、四角大輔さんという方が目立っていたり、ほかにもイケダハヤトさんとかphaさんとか高木新平さんとか、
自分の実感だけれどもふえている。そんな気がする。
でなんでそんなことになってんのかと考えたら、経済状況の変化ってのが大きく関わってきているなと思えてきた。
1ひとつは経済状況の悪化だ。
何に頼っていいのかわからないし、企業が存続するのかもわからない。そんな中でとよることのできるのは自分しかいないのではという状況があるのだろうなと思う。
2もうひとつは日本が豊かであることだ。
(猪子寿之さんがどこかでおっしゃっていたが、「日本って何をしたって生きてゆける」。公園にいけば水が飲めるしコンビニにトイレがある。路上で寝てもそんなに死ぬってこともない。)
経済も発展し、ある程度の生活が送れる(死ぬことなんてない)し、常に前を向いてなければ生きてゆけないということでもないので、個人個人が自分の生きがいを求めていける社会になったということだ。これって中国とかではぜったいマジョリティーではないとおもう(実感値)
というわけで話は最初に戻って、
「自分のやりたいことでやりたいように稼げる人を増やしてゆきたい」
ということって非常に共感できるなと思ったのだ。
四角大輔さんも、一人ひとりがタレントとして才能を生かして生きてゆく社会を作ってゆきたい(うろおぼえ)というようなことをおっしゃっていたし。
これからどんな動きがあるのか興味があるところだ。
メディアの成立によるメンタリティの違い
先日、ネットでメディアを持っている会社(口コミサイト)の社員の方とお会いする機会があって、お話を頂いてきた。
また、それとは別に、雑誌の編集長の方とお会いする機会があって、お話を頂いてきた。
その時に感じたのは、コンテンツの成立の違いからくるメンタリティの違いである。それについて書いてみる。
・口コミサイト(以下ネットメディア)について
口コミサイトは基本集合知によって成り立っている。そして、その集合知を利用してコンテンツを価値のあるものにしているのである。よって、視聴者というか利用者というか、彼らはコンテンツ作りに深く関わっていることになる。
・出版社(編集長さん)について
出版社のコンテンツは、基本的にすべて編集者が作り上げる。雑誌は編集長のものという言葉にもあるとおり、編集長の感性によってつくられる。よって読者はほとんどそのコンテンツ作りに関わることがない。
・ネットメディアの社員さんが出版社を見て言った言葉
「殿様商売」
なるほど。みんなで創っていこうという集合知のメンタリティから見てみれば、すべて自分で作ってしまう出版の仕事というのはそういうふうに見えるものなのだろう。
・編集長さんのことば
マーケティングで作った雑誌は面白くない
なるほど。読者受けだけを狙ってしまうと非常に面白くない雑誌ができてしまうというのだ。考えてみればその通りかもしれない。その雑誌の持つブランドやにおい、雰囲気、色というものはなくなってしまうのかもしれないと感じる。
・これから
ネット、デジタルの発展は、コンテンツの成立の道筋をまったく変えてしまったと思う。電子書籍云々だけの話ではなく、出版業に迫る危機というのは沢山あると思う。vingowやnaverまとめなどによって、個人が編集長となることのできる環境はあるし、ブログなんかでも簡単に「書く」ということができてしまう。
そしてソーシャルとかシェアとかいう言葉がはやっているように、どうも出版社にはよくない動きが加速されているとも感じる。こういった動きからすれば、集合知的なメンタリティが大勢を占めるようになるかもしれない。
しかし、編集長さんの言葉にあるように、マーケティングで作った雑誌は面白くない。マガジンハウスから出ているリップスという雑誌がある。この雑誌、マーケティングに基づいて作られた雑誌らしいのだが、確かにマガジンハウスの色、みたいなものはない。
出版社は非常に難しいところにあるのかもしれない。集合知が主流になったからといってそちらにかたむいてしまうとコンテンツの面白さは消えてしまう。
さあこれからどうなるのだろう。
(なんて中途半端)
出版社の芸能事務所化
出版社の新しい収入源になれば。
著者をもう出版社専属にしてしまう。
んでその講演会とか全部プロデュースして、テレビ出演なんかも全部プロデュース。
著作をうることがフリーになる(著作権がフリーになる)時代がもし来たら
著作以外のところで稼がないといけないので、
グレイトフル・デッドにならって講演会やらなんやらでかせぐ、と
(最近『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP)を読みました笑)
このやり方に当てはまる著作者とあてはまらない著作者はいるとおもう。
小説家はなかなか難しい面があるのではないだろうか。(囲む会みたいなのだったら可かと)
他方、評論家やノンフィクション作家、自己啓発系の作家さんはうまくやれるのではないかと思う。
ティモシー・フェリス(青志社から出てる『「週4時間」だけ働く。』の著者)が好例だと思う。
かれのコミュニティーは人が沢山いて、講演会なんてのも大人気だそうだ。
信者みたいな人たちも沢山生み出しているって。
著作権フリー前提で考えてみるのも面白いかも。
まあないと思うけど。
あるかな?笑
アマゾンやら出てきたので、著作に関して出版社だけが力を発揮できるというわけでは
なくなってきていると思うし、それに近くはなると思うけれど。